旅で知り合った人のブログを拾い読みした。その一つに「梅仕事」と題した記事があった。祖父母が残してくれた梅の木から採れた梅で、梅シロップと梅味噌を作った話だが、その中に
「枇杷と八朔と蜜柑と柿… 柘榴、無花果も植えたいな」
「子どもの頃、庭や畑で採れる果物で育った私の細胞が、今になってそれらを強く欲している。」
とある。大いに共感した。
終わりのない旅を続けているが、毎日のようにコンビニやスーパーにお世話になっている。スーパーに行くとじゃがいも、にんじん、たまねぎなど多くの野菜は季節を問わず並んでいるが、いちご、桃、スイカ、梨、柿など果物は、季節とともに店先に並ぶ。
品種改良やハウス栽培が発達したために、本来は春から初夏が旬のイチゴが、いまは12月から3月になっているという季節のズレはあるが、総じて店頭に並ぶ果物の種類を見て季節の移ろいを感じるものである。
街なかで暮らしているよりも、毎日のように見知らぬ土地、自然の中を歩いていると、季節の移ろいを肌で感じる。同時に、年をとったせいだろうか、しきりに子供時代の暮らしを思い出すことが多くなった。
知人がブログで書いている梅、枇杷、蜜柑、柿などに加えて、苺、桃、西瓜、葡萄、梨などいろんな種類の果物を庭や畑で作っていた。家族で食べるだけでなく、大量に栽培して出荷する果物もあった。夏の代表格がスイカである。
私は奈良県人でスイカ農家に育ったが、最近になって「大和スイカはかつて全国を制覇した人気銘柄!」だったと知った。現在は、総生産量の0.6%(都道府県別26位)に過ぎないが、今でもスイカの種子の8割は奈良県産だという。
そんな大和スイカは、子供時代の夏の思い出の代表格である。甘いお菓子など食べられない時代、甘いスイカにかじりつくだけで幸せを感じることができた。もちろん、出荷する商品としてのスイカを栽培する苦労はあったが、文字通り額に汗して働いて、夏の盛りに収穫する喜びもあった。
旅で知り合った知人がブログ記事の最後にこう書いている。
「私が人一倍体力があるのは、間違いなく、大地のエネルギーと太陽の光で育った新鮮なご馳走をいただいていたからだろうなぁ。」
同感である。毎日のように見知らぬ土地を歩き回ることができる体力があるのは、身体髪膚これ父母に受くと感謝すると同時に、子供時代の食生活や労働環境による所が大きいと思う。
春から初夏は、牛の力を借りて土を起こし、畝を作り種をまき、雑草を刈り取り、大地のエネルギーと真夏の太陽光を浴びて大きく育った大和スイカを収穫する。早朝から働き、日中の暑さを避けて休憩し、日差しが和らいだ頃から日が暮れるまで働く。
牛を引いて草場に連れて行くのは、中学生の私の役目だった。背丈が伸びた草場の、あの蒸せるような草の熱気を忘れることはない。旅の途中で草地を掻き分けて歩いたときの匂いと熱気は、少年時代の追体験そのものである。
今朝は早くから夏日になった。公園の木陰を選んで散歩した。その一角に、"牛"(だと思う)と寝そべった少女の像があった。題名が「思い出の楽園」だった。作者のどんな原体験を題材にしているのかは分からないが、この彫像は私の原体験を呼び起こした。