※青春18きっぷを利用した📝冬の旅2023から分離した。年末年始を娘夫婦の家で過ごした後、信州長野を中心にした旅をした。新入社員の時代に一カ月余を過ごした懐かしい場所を訪ねた。💐写真
日程
0103 青柳宿 👣地図 x.gd/K2mJa 💐写真 bit.ly/3XxmBHa
0104 長野~須坂 23,683歩 💐写真 bit.ly/41Nl0yp
▶善光寺 11,453歩 6.5km 1h45m 👣地図 x.gd/o6LAG 💐写真
▶臥龍公園 12,230歩 6.9km 2h03m 👣地図 x.gd/o6LAG 💐写真
0105 戸隠神社 24,716歩 12.6km 3h54m 👣地図 💐写真
facebookに投稿した徒歩経路マップにコメントがあった。印象深い一日を思い出して返信した内容を下敷きに下記に記す。
紺碧の空の下、雪景色の中を歩くのが久しぶりで、いつまでも歩いていたい気分だった。前夜にどこに行こうかと地図を眺めていたら「戸隠神社」が目に入り、行き方をGoogleマップで調べたら宿泊ホテル近くのバス停から戸隠スキー場行きに乗ればいいのが分かり、翌朝07:05始発の戸隠スキー場行きのバスに乗った。
随神門手前の案内板で鏡池が近くだと知り、確かfb友が写真をアップしていたのではないかと思い興味を持った。ちょうど家族連れが鏡池に行くと言うので聞くと「昨夜雪が降ったので余裕を見て50分くらい」だと言う。奥社参り道中でさらに出会った数人の人に聞く。30〜40分だという人もいた。
奥社で知り合った2人組は「中社から鏡池〜随神門経由で来た。トレッキングシューズで問題がなかった。大丈夫ですよ!」この言葉に励まされて鏡池経由で中社(バス停)に戻ることにした。
鏡池から眺める戸隠連峰は最高だった!誰もいない静かな場所で雄大な景色を独り占め!心休まる一時を過ごせた。
中社への道が三通りあり迷っていたら、飯綱在住だという女性が来た。スノーシューズを履いていた。小鳥ヶ池を経由する山道は避けた方が良いと判断し、女性が勧める宝光社への車道を選んだ。今朝通った車の轍があり歩きやすく、途中で雪も無くなった。宝光社近くにもバス停があったが、1時間近く待ち時間があったので中社への古道(また雪道)を歩いた。
そんなこんなで結果的に長距離を歩くことになった。奥社手前の数百メートルの坂道が滑りやすかった以外は危険な場所はなく歩きやすかったのが幸いした。紺碧の空と雪景色と岩山の眺めに出会えて幸せだった。「我歩く故に我あり」を実感する充実した一日で、また青葉や紅葉の時期にも訪ねたい。
宝光社(1100m)から奥社(1350m)まで歩く。 最初に訪ねるのは宝光社で、バス停から270段の階段を上る。同社は、五社の中で唯一江戸時代1861年に再建された。当時は神社ではなく、戸隠山顕光寺と呼ばれた。明治の廃仏毀釈の結果、戸隠神社と称して生き残った。
神道を1.5kmほど歩くと、天鈿女命を祀った火之御子社がある。さらに1.5kmほど歩くと中社に着く。イ、ロ、ハと名付けられた樹齢500年の三本杉がある。人魚の肉を食べた娘三人が人魚になってしまった。元に戻すために800日間の修行をして救われた。それに感謝して植樹したという伝説が残る。
中社から奥社入口へ向かう途中に、女人堂跡と比丘尼石がある。時間的余裕がなくなったので奥社入口まで車で移動。ここからは距離2km、比高差135mの坂道を上る。
途中に、1710年に建てられた随神門がある。この手前を左へ行くと鏡池がある。江戸時代まではお寺だったから、随神門は仁王門と呼ばれていた。随神門をくぐった所から500mに渡って、樹齢400年の杉並木が続く。奥社まで850mほど。奥社の創建は、紀元前210年と伝わる。
※旅から帰って二ヶ月後、戸隠神社および善光寺を案内するYouTube動画を見つけた。日本の古代史にやたら詳しいウクライナ女性が作成した。縄文時代についても彼女の動画から学んだ。分かりやすい動画なので参考に張り付けておく。